Netflixで配信が始まった『俺のことなんか言ってた?』を観ました。
これがなかなか面白かった!
有名俳優が「自分のことを誰も知らない世界に行きたい」と願ったら、本当に99%の人が自分を知らない世界になってしまった。この設定がまず面白い。
有名人なら一度くらい、誰にも知られず自由に暮らしてみたいと思うことがあるのかもしれません。
でも、実際に誰も自分を知らなくなったらどうなるのか。
しかも、この作品は単純に人生をやり直して成功するという話ではありません。
何度チャンスを与えられても、人間はそう簡単には変われない。
そんな人間臭さを描いた物語でした。
※ここからは結末を含むネタバレがあります。
誰も知らない大物俳優になった高瀬川
主人公の高瀬川(役所広司)は、大物俳優の息子として生まれ、自身も有名俳優として成功した人物です。
ところが、自分を知らない世界に行きたいと願ったことで、その立場を失ってしまいます。
それまで当たり前だった知名度も、周囲からの特別扱いもなくなる。
そもそも、彼は大物俳優の息子という恵まれた環境で育ってきたため、俳優として下積みを経験していません。
そんな彼が、誰にも知られていない世界で、エキストラから俳優人生をやり直すことになるのです。
この展開がよかった。
華やかな世界しか知らなかった人間が、初めてその世界を底辺から見上げることになる。
そして、そこで出会う人たちが、高瀬川の価値観を少しずつ変えていきます。
役者人生2巡目で知った映画業界の過酷な現実
俳優人生2巡目の高瀬川は、エキストラとして現場を経験することで、映画やドラマがどれほど多くの人たちに支えられているかを知ります。
その中でも重要な存在になるのが、助監督の川島(松山ケンイチ)です。
華やかな俳優たちの陰で働くスタッフの苦労や、過酷な撮影現場の現実。
かつての高瀬川には見えていなかった世界です。
やがて彼は、そんな映画業界をなんとか変えたいと思うようになります。
私は、この気持ちは本物だったと思っています。
ただ有名になりたい、主役になりたいというだけではなく、自分が経験した苦労を通して、現場で働く人たちのために何かをしたいと考えるようになった。
ところが、ここに落とし穴がありました。
彼にはまだ「自分なら変えられる」という思い上がりが残っていたのです。
せっかくリア王という大舞台の主役の座を手に入れたのに、それを手放すことになり、結果として再び身を滅ぼしてしまいます。
正しいことをしようとしていても、その方法まで正しいとは限らない。
善意の中にも傲慢さは入り込むのだと思いました。
マズローの欲求階層説で考える高瀬川の承認欲求
マズローの5段階欲求が本作の軸になっています。
人間には生理的欲求、安全欲求、所属と愛の欲求、承認欲求、自己実現欲求があるとされ、さらに後年の議論では、その先に自己超越欲求という考え方も示されています。
高瀬川の人生には、これらの欲求が複雑に絡み合っているように感じました。
1巡目の彼は、大物俳優としての地位を持ち、他人から認められることが当たり前になっていました。
2巡目では、底辺から努力して主役の座を手に入れます。
そして、映画業界そのものを変えたいという、より大きな目的を持つようになる。
これは自己超越欲求にも通じるものがあると思います。
ただし、ここで重要なのは、崇高な理想を持つことと、自分自身の傲慢さを克服することは別だということです。
高瀬川は映画業界をよくしたかった。
でも、そこにはまだ自分が何かを成し遂げたいという欲求も残っていた。
つまり、承認欲求が消えたわけではなかったのです。
この作品には、いい承認欲求と悪い承認欲求が交差して現れます。
認められたいという気持ちが努力や成長につながることもあれば、思い上がりによってすべてを失う原因にもなる。
その描き方が面白かったです。
川島のノートに書かれていた言葉
私が特に重要だと思ったのが、川島のノートを見つける場面です。
入院した川島の部屋に居候していた高瀬川は、ノートに自分のことが書かれているのを見つけます。
そこには、いつか一緒に仕事をしてみたい俳優として、高瀬川の名前がありました。
帰国して以来、誰からも認めてもらえなかった彼にとって、この言葉がどれほど嬉しかったことか。
しかも、本人に直接言われたお世辞ではありません。
川島が自分のノートに書き残していた、本心からの評価です。
高瀬川はここで、自分を認めてくれる人がいたことを知ります。
そして川島は、彼にとって特別な存在になっていくのです。
大勢の人に知られていることと、自分が尊敬する人から認められること。
その違いを、高瀬川は初めて実感したのではないでしょうか。
役者人生3巡目でようやく気づいた家族と人間性の大切さ
2度の役者人生で失敗した高瀬川ですが、3巡目に入ったからといって、急に立派な人間になるわけではありません。
深く反省して、今度こそ正しく生きようと決意するような、わかりやすい展開でもないのです。
どちらかというと、周囲に流されながら3巡目が始まったように見えました。
このあたりが妙に人間臭くて、私は好きでした。
何度人生をやり直したところで、人間の性格が簡単に変わるわけではありません。
それでも、3巡目の高瀬川は少しずつ変わっていきます。
元妻と娘、そして今の妻と息子。
家族との関係の中で、彼は人間として認められる喜びを知るようになります。
大物俳優として世間から称賛されることとは違う、身近な人たちとのつながりです。
ここでも承認欲求は満たされています。
でも、それは悪いことではないと思うのです。
そもそも、誰かに認められたいという気持ち自体が悪いわけではありません。
問題は、その欲求に振り回されてしまうことなのでしょう。
「役者とは再生可能なペットボトル」という言葉の意味
役者人生3巡目の終盤、高瀬川は岡本(賀来賢人)が書いた『誰も知らない大物俳優』という舞台に立ちます。
岡本が高瀬川の話をもとに脚本を書いた作品です。
そこで高瀬川が語るのが、俳優は観客の気持ちを入れるための容器にすぎない、役者とは再生可能なペットボトルだという言葉です。
この比喩が実に面白い。
1巡目の高瀬川は、大物俳優という高級ブランドを身にまとっていました。
しかし、観客にとって大切なのは、俳優がどんな家柄で、どれほど有名なのかということではありません。
観客が芝居を通して何を感じ、何を受け取るか。
俳優は、そのための器なのだということです。
そして、ペットボトルは再生できます。
俳優もまた、新しい役を演じるたびに、何度でも別の人間になることができる。
ここで、作品全体の「人生のやり直し」という設定と、俳優という仕事の本質がつながります。
何度も人生をやり直してきた高瀬川が、最後には、芝居をすることで何度でも生まれ変われるという答えにたどり着いた。
私は、この着地点がとてもよかったと思いました。
ラストの「俺のことなんか言ってた?」は承認欲求の表れなのか
「俺のことなんか言ってた?」の意味
そして、いよいよラストです。
小さな舞台で『誰も知らない大物俳優』を演じ終えた高瀬川。
その舞台を、川島が観に来ていたことを関係者から聞きます。
そこで高瀬川が尋ねるのです。
「俺のことなんか言ってた?」
そして物語は終わります。
最初は、ちょっと待て、結局は承認欲求なのか!と思いました。
あれだけ人生をやり直して、ようやく大切なものに気づいたはずなのに、最後まで他人の評価が気になるのかと。
でも、考えてみると、この言葉には以前とは違う意味があるように思えます。
1巡目の高瀬川は、大物俳優として認められることが当然だと思っていました。
ところが2巡目では、誰からも認められなかった自分を、川島だけは俳優として評価してくれていた。
だからこそ、川島は特別な存在なのです。
3巡目の高瀬川が知りたかったのは、世間の評判ではありません。
自分が尊敬する川島が、今の自分の芝居をどう見てくれたのか。
そこが気になったのでしょう。
しかも、このセリフはごく自然な会話の中で語られます。
かつての「俺は大物俳優だぞ」という傲慢さは感じられません。
承認欲求は最後まで残っている。
でも、承認を求める相手も、その意味も変わっているのです。
私は、これを主人公の成長を示すラストだと解釈しました。
人間は、誰かに認められたいという気持ちを完全に捨てる必要なんてないのかもしれません。
賀来賢人とNetflixのちょっと面白い仕掛け
もうひとつ、面白い場面がありました。
舞台を観に来ていた壬生(浜田雅功)が、終演後、脚本を書いた岡本にNetflix向けの脚本を書くよう迫るのです。
岡本を演じているのは賀来賢人。
実際の賀来賢人は、Netflixシリーズ『忍びの家 House of Ninjas』で原案、主演、共同エグゼクティブプロデューサーを務めています。
自ら企画を持ち込んで作品を実現させているのです。そこをネタにしているのが笑えますね。
それにしても、この作品は出演者もずいぶん豪華です。
生瀬勝久、小日向文世、古田新太など、ちょっとした役にまで有名俳優が登場します。
正直、無駄に豪華だなと思ってしまいました(笑)。
でも、有名俳優の知名度そのものを題材にした作品で、観客が次々と有名俳優の登場に反応するというのも、なんだか皮肉で面白いものです。
まとめ|人生は何度でもやり直せる。でも、人間は簡単には変われない
『俺のことなんか言ってた?』は、最初の設定だけでも十分に面白い作品でした。
しかし、観終わってから考えてみると、単なる人生のやり直しを描いた物語ではなかったように思います。
何度やり直しても、同じような欲望に振り回されてしまうことがある。
善意から始めたことでも、思い上がりによって失敗することがある。
そして、人間にとって本当に大切なのは、世間からの名声ではなく、自分を理解してくれる人とのつながりなのかもしれません。
高瀬川は3度の役者人生を経験して、ようやくそのことに気づいたのでしょう。
それでも、最後まで承認欲求は残っていました。
でも、それでいいのだと思います。
大切なのは、承認欲求をなくすことではなく、その欲求とどう付き合って生きていくか。
最後の「俺のことなんか言ってた?」という何気ない一言には、そんな意味が込められているように感じました。
最初は奇抜な設定が面白いと思って観始めた作品でしたが、振り返ってみると、人間の欲望や成長についていろいろ考えさせられる物語でした。
なかなか面白かったです。

