『ディスクロージャー・デイ』考察・感想|ラストの言葉の意味

洋画

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スティーヴン・スピルバーグ監督の『ディスクロージャー・デイ』を観ました。

ひと言で感想を表すなら、非常に惜しい映画でした。

テレビのお天気キャスターが突然、意味不明な音を発する場面や、一瞬にして出現するミステリーサークル。何が起きているのかわからない不気味さと、世界の常識がひっくり返りそうな予感。

こういう演出は本当に面白かったです。そして、終盤には映画館の大きなスクリーンで観てよかったと思える圧巻のシーンもありました。

ただ、最後の最後で、私の中にあった興奮が急速にしぼんでしまったんです。決してつまらない映画ではありません。

むしろ、素晴らしい場面があったからこそ、結末が残念でした。なぜそう感じたのか。ここから先は、物語の重要な展開に触れながら感想を書いていきます。


※以下、終盤の展開や結末に触れています。未鑑賞の方はご注意ください。

 アメリカ政府が隠しているかもしれない「何か」

この映画のテーマで興味深かったのは、アメリカ政府が宇宙人に関する情報を隠しているのではないか、という長年の疑惑を物語に取り込んでいることです。

UFOや地球外生命体に関する情報を、政府が密かに握っているのではないか。そんな話は昔からありますよね。

実際、アメリカではUAP(未確認異常現象)について政府による調査や情報公開が行われています。もちろん、だからといって宇宙人の存在や政府による隠蔽が証明されたわけではありません。

でも、こうした現実の議論があるからこそ、映画の設定にも妙な真実味が生まれるんです。

「もし本当に何かを隠しているのだとしたら?」
「もし、それが突然、世界中に公表されたら?」

この想像だけで、かなり面白い。

お天気キャスターの異変や、瞬時に出現するミステリーサークルも、その謎を膨らませる演出として効果的でした。

何かが起きている。でも、その正体はわからない。

この『わからなさ』こそが、映画の魅力だったと思います。

  世界中に情報が拡散されるシーンは圧巻だった

そして、私が最も素晴らしいと思ったのが、隠されていた情報が世界中に開示される場面です。それまで一部の人間だけが知っていた秘密が、一気に世界中へ広がっていく。

もう誰にも止められない。政府が隠していた情報を、人類が同時に知ることになる。

まさに『ディスクロージャー・デイ(情報開示の日)』です。

この映像表現が実に見事でした。情報が世界中に拡散していく様子には、スケールの大きさと迫力がありました。

ちなみに、この場面で隣の席の人が泣いているようにも感じたんですよね。それほど感動的なシーンだったのかもしれません。

一方、私はというと、
「この世界規模の出来事を、こう映像化するのか!」
と、演出の素晴らしさに感心していました。

我ながら、ちょっと斜めから映画を観ている気もします。

でも、あの場面は本当に素晴らしかった。国家が独占していた秘密が、世界中の人々のものになる。
それだけで十分に壮大なクライマックスが成立していたと思うんです。

なのに、なぜ宇宙人を登場させてしまったのか

ここからが、私にとって最大の問題です。世界中への情報開示という、あれほど壮大な場面を見せておきながら、最後に宇宙人が姿を現してしまう。

いやいや、そこは見せちゃダメでしょう!

しかも、その姿が私には「E.T.のおとなバージョン」に見えたんですよ。『E.T.』はかわいかった。少年と宇宙人の交流を描く物語だったから、あの姿にも愛着が湧いたんです。

でも、今回は違います。国家が隠していた情報、人類が知らなかった真実、そして世界規模の情報開示。そんな壮大なテーマを扱っているのに、最後に登場したのは、どこか見慣れた宇宙人の姿。

あれほど膨らんでいた想像力が、一気にしぼんでしまいました。宇宙人の造形が気に入らなかった、というだけではありません。

そもそも、宇宙人を具体的な姿で見せる必要があったのでしょうか。

未知の存在は、正体がわからないからこそ怖い。何が起きるのかわからないからこそ、想像力を刺激される。

ところが、実際に姿を見せられると、それまでの神秘性が急に薄れてしまうことがあります。私にとって、今回がまさにそれでした。

見せなくていいものを見せて、メッセージは秘密?

さらに、最後には宇宙人がメッセージを発信します。それをマーガレットが伝えます
「Listen」
そしてエンドロール…。

既視感しかありませんでした。

姿は見せる。でも、何を伝えたかは教えない。

もちろん、メッセージの内容を明かさないことで、観客の想像に委ねるという演出意図は考えられます。でも、私はその内容を知りたいとも思わなかったんです。

「あー、はいはい」という感じでした。

映画が謎を残したからといって、必ずしも観客がその答えを知りたくなるわけではありません。そこまでの物語にどれほど引き込まれているかが重要なんだと思います。

私の場合、宇宙人が姿を現した時点で、せっかく膨らんでいた興味がしぼんでしまった。そのあとで意味深なメッセージを残されても、もう心が動かなかったんですよね。

曖昧さの演出が甘かったのでは?と。

宇宙人がが舞台に上がる前に終わってたら、あるいはマーガレットが「聞いて!」って言う直前あたりで終わってたらよかったのに…。

スピルバーグの演出は古くなってしまったのか

スピルバーグ監督といえば、『未知との遭遇』や『E.T.』未知の存在との出会いを、映画の大きな感動に変えてきた監督です。ただ、あれから長い年月が経ちました。

観客は、もう数えきれないほどの宇宙人映画を観ています。宇宙人が姿を現すこと自体が、かつてほどの驚きではなくなっているのかもしれません。

今回、私が古いと感じたのは、映像技術ではありません。むしろ、世界中に情報が拡散される場面の映像表現は見事でした。

古いと感じたのは、最後に宇宙人を登場させ、意味深なメッセージを残して終わるという演出の発想です。

もちろん、あの結末に感動した人もいると思います。未知の存在が姿を現すこと自体に、大きな意味を感じる人もいるでしょう。でも、私は逆でした。

未知の存在は、未知のままだからこそ魅力的だったんです。

現実と地続きのテーマだったからこそ惜しい

私がこの映画で最も面白いと思ったのは、単なる宇宙人との遭遇ではありません。もし、本当に国家が隠していた重大な情報が、ある日突然、世界中に公開されたらどうなるのか。

この問いです。そこには政治も、権力も、情報統制も、人々の価値観も関わってきます。しかも、現実にもUFOやUAPをめぐる議論が存在する。

だからこそ、フィクションでありながら、どこか現実と地続きの怖さがあったんですよね。この題材には、それだけの力があったと思います。

そして、世界中への情報開示の場面では、その力が十分に発揮されていました。それだけに、最後にありきたりな宇宙人像を持ち込んだことが、どうしても残念でした。

あれほど壮大だったテーマが、最後に普通の宇宙人映画へと縮んでしまった。私にはそう感じられたんです。

まとめ|宇宙人を見せない勇気がほしかった

『ディスクロージャー・デイ』は、決してつまらない映画ではありませんでした。

お天気キャスターの異変、一瞬で現れるミステリーサークル、そして世界中に秘密が拡散されるシーン。特に情報開示の場面は、映画館の大きなスクリーンで観る価値のある映像だったと思います。

だからこそ、惜しい。
私としては、宇宙人の姿を最後まで見せずに終わってほしかったな。

観客が映画館を出たあとも、「もし、本当にこんなことが起きたら……」と考えてしまうような結末がよかったんです。

世界中に秘密が明かされた瞬間、映画は最高に面白かった。
でも、その秘密の主が姿を現した瞬間、私の興味は終わってしまった。

なんとも皮肉な話です。

そして、冒頭から寝ていた私が偉そうに言うのもなんですが(笑)、スピルバーグ監督には、もう少し観客の想像力を信じてほしかった。

見せないほうが、ずっと大きく見えるものもある。そんなことを考えた映画でした。

ちなみに、本作の音楽は『E.T.』や『スター・ウォーズ』でおなじみのジョン・ウィリアムズが担当しています。

スピルバーグ監督との30作目のタッグということで、映画音楽ファンにはこちらのサウンドトラックも気になる一枚かもしれません。

💡ディスクロージャーデイオリジナルサウンドトラック

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