『ダウンタイム』感想・考察|あれだけ整形したのに、最後に残ったのは親子の話だった

ドラマ感想・考察

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Netflixドラマ『ダウンタイム』
美容整形をテーマにしたドラマということで、容姿へのコンプレックスや、美しさを追い求める人間の心理が中心になるのだと思っていました。

もちろん、それも描かれています。ただ、最後まで観ていちばん印象に残ったのは、そこではありませんでした。

あれだけ派手に整形手術を見せておいて、最後に残ったのは親子の話だった。

いや、ずいぶん遠回りしてそこへ着地したな、と(笑)。

今回は、遠山凜と沼田文の関係、父・新の後継者問題、そして少々引っかかった展開について、感想と考察をまとめます。

※ここからは最終話までのネタバレを含みます。

Netflix『ダウンタイム』のあらすじ

大学病院で働く天才形成外科医・沼田文(松岡茉優)

緊急手術で患者の命を救ったものの、その患者が後に自死したことをきっかけに、大学病院を追われてしまいます。

家族の借金を返すため、文が働くことになったのは、カリスマ美容外科医・遠山凜(仲里依紗)が率いる美容外科クリニック。文にとって、形成外科は傷ついた身体を治し、人の命や生活を守る医療です。

一方、凜が掲げるのは「美で人を救う」という考え方。

美容医療に抵抗を感じていた文ですが、さまざまな事情を抱えてクリニックを訪れる患者たちと向き合ううちに、その価値観は少しずつ変化していきます。

しかし、物語の中心にはもうひとつ、大きな問題がありました。それが、凜と父・遠山新の関係です。

そして文自身もまた、この父娘の問題と無関係ではいられなくなっていきます。

凜と文は正反対の医師。でも本当に違うのは何だったのか

最初の凜と文は、見事なくらい正反対です。凜は、外見を変えることによって人生を変えられると考える医師。文は、医療によって身体を治すことに強い使命感を持つ医師。

「変えることで救う凜」と「治すことで救う文」

この対立が、序盤の物語を引っ張っていきます。ただ、患者たちの事情を見ていると、そう簡単に善悪を分けられないんですよね。

容姿のせいで仕事に影響が出る人もいれば、他人には理解できない切実な理由で美容整形を望む人もいる。健康な身体にメスを入れる必要があるのか。

でも、本人が苦しんでいるなら、その苦しみを軽くすることも医療ではないのか。文が迷うのも分かります。

そして面白いのは、強気で迷いがないように見える凜も、実は自分自身の問題から自由ではないことです。凜は他人の外見を変える力を持っている。

けれど、自分の人生をずっと支配してきた父親との関係だけは、思うように変えられない。
人の顔は変えられるのに、自分の親子関係は変えられない。

なんとも皮肉な話です。

遠山新はなぜ引退したのに戻ってきたのか?

このドラマで、私がいちばん引っかかったのがここです。凜の父・新は、一度引退してクリニックを凜に任せています。ところが、再び表舞台に戻ってくる。

いや、一回譲ったんじゃなかったんかい。

凜からすれば、たまったものではありません。自分なりにクリニックを経営し、父親の影響から抜け出そうとしていたところへ、当の父親が戻ってくるわけですから。

なぜ新は、今さら戻ってきたのでしょうか。私は、この行動には文の存在が大きく関係していたのではないかと思います。

「両親に感謝しなさい」という言葉の意味

新は早い段階から、文の手術の腕に注目していました。なかでも印象的だったのが、文の手を取って「両親に感謝しなさい」と告げる場面です。

最初は、天才外科医が優秀な若手医師の手を褒めているだけに見えます。ところが、後になって文が新の実の娘だったと分かる。

……待てよ。

あの「両親に感謝しなさい」って、もしかして自分のことも含んでいた?そう考えると、急に意味深な言葉になるんですよね。

新は文の才能を見て、自分と同じものを感じたのではないでしょうか。もちろん、どこまで自覚して発した言葉なのかは断定できません。

でも、後から振り返ると印象が大きく変わる場面です。

新が本当に欲しかったのは後継者なのか、それとも自分の才能を継ぐ人間なのか

凜は新の養女です。一方、文は実の娘。
しかも、文には並外れた手術の才能があります。

ここで、新の後継者選びが揺らいだのではないでしょうか。それまでは、クリニックを任せる相手は凜だった。ところが、そこへ文が現れる。

手術が抜群にうまい。しかも実の娘。

後継者候補、急に真打ち登場。

凜からしたら、冗談じゃない話です。

ただ、新が単純に血のつながりだけを重視していたとも思えません。
もし血縁だけが大切なら、そもそも凜にクリニックを任せなかったはずです。

新が文に強く引かれたのは、自分の血を引いていることに加えて、自分と同じような才能を持っていたからではないでしょうか。

新にとって、クリニックや名前を残すこと以上に重要だったのは、自分の才能を受け継ぐ存在を見つけることだったのかもしれません。

そう考えると、引退したはずの新が戻ってきて、再び主導権を握ろうとする行動にも、ひとつの説明がつきます。

凜と文、どちらが本当の後継者だったのか

この問題で、いちばん気の毒なのは凜です。凜はずっと父親を意識して生きてきました。父親に反発しながら、父親を超えようとしてきた。

でも、それは裏を返せば、ずっと父親に認めてもらいたかったということでもあります。

ところが、文は違います。
文は新の後継者になろうとして現れたわけではありません。それなのに、父親が強く関心を寄せるのは文の方。

後継者になりたくて頑張ってきた凜と、後継者になる気がないのに期待される文。

これはつらい。しかも文には悪意がない。だから凜は、文を単純に敵として憎むこともできないんですよね。

凜が本当に乗り越えるべきだったもの

凜が父親を超えるために必要だったのは、手術の腕で勝つことでも、クリニックの経営で成功することでもなかったのかもしれません。

父親から認められることを、自分の人生の目標にしないこと。

「もう、この人に認めてもらわなくてもいい」

そう思えることだったのではないでしょうか。

一方、文にとっても、新が実の父親だと分かったからといって、その人生を引き継ぐ義務はありません。血がつながっていることと、同じ生き方を選ぶことは別です。

新が後継者を選ぼうとする一方で、娘たちはそれぞれ自分の生き方を選ぼうとする。ここが、このドラマの大事なところだと思います。

文と母親のエピソードは必要だった? 正直、少し長かった

さて、ここからは少々辛口の感想です。文と母親のエピソード、かなり丁寧に描かれていましたよね。

母親の病気と向き合い、やがて別れを迎える。もちろん、この展開に意味があることは分かります。

どれだけ優秀な医師でも救えない命がある。そして文には、自分を育ててくれた母親がいる。

その後で実の父親が新だったと明かされるからこそ、育ててくれた親と血のつながった親の違いが浮かび上がります。

テーマとしては必要なんです。
必要なんだけど……。

ちょっと長くない?(笑)

凜と新の対立が気になる。文の出生にも何か秘密がありそう。こっちはそっちの展開を早く見たいのに、なかなか話が進まない。
そんな気持ちになったのも事実です。

ただ、振り返ってみると、母を失った文の前に実の父親が現れるという順番には意味があります。
親とは、血がつながっている人なのか。それとも、自分を育て、人生を共にしてきた人なのか。

その問いを描くためのエピソードだったのでしょう。
意味は分かる。
でも、もう少しコンパクトでもよかった。

これが私の感想です。

文の交通事故と顔面修復手術は必要だったのか?

もうひとつ、どうしても引っかかったのが文の交通事故です。
文には、それまでにも十分すぎるほど大きな出来事が起こっています。

母親との別れ、出生の秘密、新との関係、凜との対立、後継者問題。もうお腹いっぱいなんですよ。

そこへ、

\さらに交通事故ドーン!/

まさかの大事故!

この事故によって、文自身が顔に大きな傷を負う側になります。これまで患者を治療してきた医師が、今度は治療を受ける立場になる。

美容医療をめぐる考え方を、文自身の身体を通して問い直すという意味はあったのでしょう。

ただ、物語全体を振り返ると、事故がなくても凜と文、そして新の関係は十分に描けたように思います。

顔面修復手術の描写にも少し違和感

事故後、文の顔には大きな損傷が見られました。ところが、手術室の場面では、すでに顔の損傷がかなり目立たなくなっているように見えます。

このあたりの時間経過や処置の描き方は、少々分かりにくかったです。

さらに、海外へ向かうはずだった凜が現れる場面。そしてラストでは、文が開いたクリニックを凜が訪れ、文の顔について「我ながら完璧」と口にします。

この流れから、文の顔の回復に凜が深く関わったことは読み取れます。

ただし、手術室の場面だけで、凜がどの処置をどこまで担当したのかを明確に判断するのは難しいと感じました。

ラストの台詞はその関与を示すものとして受け取れますが、肝心の治療過程はもう少し丁寧に描いてほしかったところです。

それにしても、文が顔に傷を負い、凜がその回復に関わるという展開は、二人の関係を象徴しているのでしょう。

かつて美容医療に抵抗を持っていた文が、凜の医療によって救われる側になる。そこには確かに意味があります。

でも、そのために交通事故まで起こす必要があったのか。
私は最後まで少し疑問が残りました。

『ダウンタイム』というタイトルが最後に持つ意味

ここまで観て、あらためてタイトルの『ダウンタイム』を考えてみました。美容医療でいうダウンタイムは、施術後の腫れや傷などが落ち着き、回復していくまでの期間を指します。

でも、このドラマの登場人物たちが抱えていた傷は、身体の傷だけではありません。

凜は、父親から認められたいという思いに縛られていた。
文は、医師としての信念や家族との関係に揺れていた。

二人とも、長い時間をかけて自分自身の問題と向き合ってきたわけです。

そう考えると、この作品のダウンタイムは、身体だけでなく、人生を立て直すための時間でもあったのかもしれません。

傷が治ったから、すべて元どおりになるわけではない。

むしろ、傷を負う前とは違う自分として生きていく。それが凜と文の物語にも重なります。

まとめ|あれだけ整形したのに、最後に残ったのは親子の話だった

『ダウンタイム』は、美容整形の光と闇を描くドラマとして始まります。

容姿に悩む患者たちが次々に登場し、手術シーンもかなり派手。「そこまでやる!?」という場面もあって、美容医療そのものを問いかける作品なのだと思っていました。

ところが、最後まで観てみると、強く印象に残ったのは凜と文、そして新の関係です。

凜は、父親に認められたいという思いから自由になろうとする。
文は、血のつながった父親の存在を知りながら、自分の生き方を選ぼうとする。
新は、自分の才能を受け継ぐ人間を求めていたように見える。

こうして考えると、このドラマが描いていたのは、

親から何を受け継ぎ、何を受け継がないと決めるのか。

という物語だったのではないでしょうか。

生まれ持った顔も、身体も、血のつながりも、自分で選べるものではありません。でも、それをどう受け止め、これからどう生きていくのかは、自分で選べる。

外見を「作り直す」患者たちと、親から与えられた人生を「選び直す」凜と文。美容整形と親子の物語は、実はここでつながっていたのかもしれません。

なるほど、そういう話だったのか。

……とは思うものの。

そこへたどり着くまでの整形手術、だいぶ派手でしたけどね(笑)。

『ダウンタイム』。

あれだけ派手に整形手術を見せておいて、最後に残ったのは親子の話だった。
私はそんなドラマだったように思います。

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